カイロプラクティックの歴史




カイロプラクティックを発見したD.Dパーマーは1886年に
アイヲワ州で磁気治療家として、活躍をしていた。
以前から、病気の原因について疑問を感じていたD.Dパーマーは
「椎骨の変位」によって、神経圧迫(サブラクセイション)を
起すことに気が付いきました。

ある日、めし使いのハービーリラードの脊椎を調べている時に
大きな隆起を見つけて
それを押してみたところ、大きな音とともに椎骨が動いたのです。
17年もの間、耳が聞こえなかった彼が、そのことによって
耳が聞こえるようになりました。

これが「カイロプラクティック」の最初の技術だったのです。





D.Dパーマーのところに、心臓病の患者が来院して
同じ理由で、脊椎を検査、治療したところ
心臓病が改善された。このことによってD.Dパーマーの確信は強く
なっていきました。

患者の父親のサムエル・ウィード氏は、このすばらしい治療学に
名前をつけようと話がでました。
ギリシャ語で「手によってなされた」という意味で
カイロプラクティックという言葉が提案され、D.Dパーマーは
喜んで賛成をしました。これが1895年9月18日で
アメリカでは「カイロデー」として、その功績を今もたたえています

「カイロプラクティック」と名付けられてから2年後、1897年に
最初のカイロプラクティックの学校を創立し、1898年に最初の生徒が
入学した。
この頃の教育は、高等学校で教えていることに「解剖学」「生理学」を
加えたものくらいでしかなかった。


MENUに戻る